今年も残すところあとわずかになりました。
今日は久しぶりの投稿です。
ところで…
よく、こんな言葉を聞いたり見たりします。
…「宗教お断り」
…「そんなのは、宗教だ。」
宗教は、心を扱うものですから、目には見えません。
また、”信”から入るものですので、逆に「信じられない」という気持ちも起こるでしょう。
そして、宗教も仏教、キリスト教、イスラム教、神道、ヒンズー教、そのほかの諸教、たくさんありますし、伝統的なものから、新らしいもの、果てはカルトも含めて、「宗教」の一言でくくられているのが現状と思います。
ここで、目を金融に向けて見ましょう。
金融は、中央銀行(日本では日本銀行、アメリカではFRB、などなど)から、都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合、農協、漁協、それからサラリーマン金融、果てはヤミ金まであります。
今年、我が家では農業用倉庫を建てるのに農協から借金をしました。
金融がなければできなかったことです。
しかし、金融業界も、ヤミ金が大きな社会問題となっています。
ここで、問いたいのです。
ヤミ金が問題だからといって、金融業すべてを非難したりするでしょうか?
たとえば、あるヤミ金が暴利で人を苦しめたら、その責任を日本銀行にふりむけるでしょうか?
おそらく、全ての人がそのようなことはしないでしょう。
しかし…
宗教に関しては、ヤミ金の責任を日銀にふりむけるような事が、よくあると思います。
オウムのような宗教とか霊感商法が悪いからといって、宗教全てがそうであるかのように…
願わくば、しっかりした教えのある宗教と、カルト宗教をごっちゃまぜにしないで欲しいと、冒頭に書いた言葉に出会うたびに思います。
日本の多くの家庭では仏教と思います。各家庭では菩提寺があるでしょうし、菩提寺を持たない家でも近くには古くからのお寺があると思います。
大抵のお寺では、いろんな行事があり、法話も聞いたり、何かしらの行(坐禅とか写経とか)をすることもできます。
それから、キリスト教の教会では日曜礼拝とかもあってます。
多くのひとに、そのような場にふれてもらいたいな、と思います。
いつだか覚えていませんが、
「宗教」という言葉は明治以後に出来た言葉で、それ以前は、「信心」と言う言葉しかなかった。英語の「religion」の訳が「宗教」なのである。
と、聞いた事があります。
「あなたの信心は、何ですか?」
そう問われて、
「無信心です。」
などと言ったら、少しうすら寒い気がしませんか?
まるで、”道徳心はもちあわせていません” と宣言しているような…
無宗教 = 無信心
「宗教は何ですか」と聞かれて、「無宗教です」なんて、決して言わないほうがいいですね。
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