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2011.08.28

ニフティさん、ニュースは正確を期してね。 どっちがほんと?

リンク: 中国が怖れるダム手抜き工事 決壊すれば死者26万人の過去も - 速報:@niftyニュース

上記のようなニュースが8月28日22:45現在、ニフティトップに出ています。

この死者数~(決壊の直接の死者数だと思いますが)~の26万人という数字、ウィキペディアでは2万6千人となっています。

板橋ダム - Wikipedia

また、別のサイト(要 紘一郎のHOMEPAGE)でも、2万6千人となっています。

要 紘一郎のHOMEPAGE - 1975年の”駐馬店ダム”決壊事件

さて…
どちらがホント?

迷いますね。

まあ、
ウィキペディアでは、間接的な死者数は「堤防の決壊により数万人が死傷、その後数十万人が食糧問題や感染病により死亡した。」としてますから、たくさんの方が亡くなったのは間違いは無いでしょうけど…

それと、中国の報道(広報)にも、改ざんはつきものだから、どれもホントには信用しがたいですけど…

でも、数字を出す以上、正確は期してほしいなあ。

読者が迷うので…

ニフティさん、もしこの記事が目についたら、調べてくださいね。
よろしく。

2011.08.27

負けるな東北!

地震、津波、原発災害、風評被害…

とても、心痛めています。

友人のブログで知った映像で、
放送されたのが2008年8月6日のものですが、
まるで、今年のためにあるような気がしてなりません。

時間の許せる方は見てください。

youtubeの当該ページへ

2011.06.16

超ごぶさた…

おひさしぶりです。

前回が去年の8月なので10ヶ月も投稿してなかったことになります。

その間にあったできごとは…

去年
9~10月 … 梨の出荷。
         妻が切迫早産の危険で入院。
11月   … 園地の整備。
12月   … 梨の剪定。
         義父が倒れ入院。
         長女誕生。
今年
1月    … 梨の剪定。
2月    … 梨の剪定。
         義父の容態悪化、ICUへ。
3月    … 梨の剪定、花粉採取、霜害対策
4月    … 梨の人工授粉作業。
         義父の容態安定、一般病棟へ。
         長男、保育園入園。
5月    … 梨の摘果、袋掛。
         私が入院(肺炎)
6月    … 梨の摘果、袋掛。

まあ、覚書程度ですが、このような状況です。

なかなか、ここに顔を出せない日々が続いてますが、

本年もよろしくお願いします。
↑(今頃、新年の挨拶…)

2010.08.16

今読んでいる本~『沈黙入門』

先日、うちの前にある小屋の脇に捨てられていた新聞にのっていた、ある本の宣伝…

P1010087ts25s40

なんとなく気になったので切り取って、妻に「こんな本があるんだって~」って見せたら、ぜひ買ってほしいとのこと。

そこで、Amazon で取り寄せました。

こちら→『沈黙入門


内容(本の裏表紙より)

何にもケチをつけず一日過ごしてみる。天皇陛下のようにスローに、徹底的に自己を抑えて喋る。正義で相手を論破することをやめる。むやみに「すみません」を言わない。身近で大切な人にこそ幻滅しておく。………とめどない欲望・イライラ・不安から解放されて軽やかに生きるために、若き修行僧が日々の生活の作法を手ほどきする。

2010.08.12

友人が富士登山

 友人のむくむくさん(浜松在住)が富士山に登山したとのことで、その記事をご自身のウェブログに掲載されています。

こちら→むくむく道場

わたしも、かれこれ20年以上もまえに彼と富士登山しましたが、いまもその時の金剛杖が部屋の片隅においてあります。


2010.08.10

やっと記事更新

もう8月の10日になってしまいました。
忙しさにかまけ、記事を更新する気力が無くなっている今日このごろですが、仕事(農業~梨)の宣伝のために、もうひとつウェブログを作ってますのでサイドバーに貼り付けました。

ところで…
今、うちでは皆、夏カゼをひいています。
最初はノドの痛みから始まります。
そのあと、熱、セキ、タン… と、ひどくなっていきます。

わたしは、ようやく治りかけてきましたが、今度は妻がノドが痛いと言い出して、さっき熱を測ったら微熱がありました。
午後から病院に連れていこうと思ってます。
そんなわけで、今日はお仕事はお休みで~す。

2010.05.13

オジサンの証拠

niftyニュースで、「妻夫木&松ケン 映画で初共演」という記事見出しを見て、

「へえ、妻夫木聡と松平健が共演するのか。」と思いクリックしてみました。

そしたら、全く違いました。

妻夫木聡 と 松山ケンイチ という俳優さんの話でした。

もう、「まつけん」という言葉で松平健を思い出すのは、オジサンの証拠なのかなあ??

記事はこちらです。↓
http://news.nifty.com/cs/topics/detail/100513268388/1.htm

2010.05.01

5月です

♪ い~ら~か~の な~み~と~ く~も~の な~み~

と、いうわけで、もう5月になりました。

わが家でも↓の写真のとおり、鯉が泳いでおります。

わが家の若殿は、昨年8月の誕生で、もうすぐ9ヶ月。
最近は、つかまり立ちができるようになりました。

2010.02.03

節分です。

 今日は節分です。
みなさまのお宅でも豆まきはされたでしょうか?

我が家では義母が落花生と恵方巻を買ってきました。
豆まきは本来は炒った大豆を使いますが、簡便に落花生で代用…
そして、恵方巻… 今年の恵方は「西南西」とか?
その恵方を向いて黙って食べなくてはならないそうですが…

あああ!
おかあさん、そちらは南ですよ~~

2010.01.03

ブログ通信簿

先日からブログ通信簿を、左の一番下に貼り付けておりますが、今日はこんなふうになっています。

う~~ん?

”僧侶を目指しましょう” か…

以前、「いつか出家して…」と思っていた時期もありました。

しかし、ご先祖さまや周りの環境は、結婚して子孫を残すことを望んでいたようで、今現在に落ち着いています。
たぶん今世では優婆塞(うばそく/男性の在家信者)としての修行が課せられているのかな?

仏教は、比丘(びく/男性の出家僧)、比丘尼(びくに/女性の出家僧)、優婆塞(うばそく/男性の在家信者)、優婆夷(うばい/女性の出家信者)がそろって、はじめて教団としての体を成します。
比丘・比丘尼のみや優婆塞・優婆夷のみでは、成り立ちません。

卑近な例となりますが、比丘・比丘尼のみになるとオウムのようになり社会と乖離してしまい、優婆塞・優婆夷のみになると創価学会のようになり教義が暴走します。

昔は、”入道”というのがありました。
在家のまま正式に仏門に入って僧尼のように修行するというものです。
武田信玄を例にすると、”信玄”というのは入道してからの名前で、本名は”晴信”です。
それができる時期が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
でも、生きているうちにできるのがBESTだなあと思う今日このごろです。

今日のできごと…

 昨日の夜から、おなかをこわして休んでいます。

トイレに行くたびに、おなかがキリキリ痛み、ガスばかりが出て、ちょっと大変な状態でした。

薬は、大師陀羅尼錠を飲んだくらいで、後は寝ておりました。

今は少し良くなって、起きております。

2010.01.01

新年…

… 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

昨夜は、紅白歌合戦も見ずに寝てしまい、
朝までそのまま寝てしまいました。

義父は03:00から08:00まで、野原八幡宮で
お手伝い…
~~ お疲れ様でした。

今朝は曇りで少し雪が舞ったものの、後からは晴れ。

午前中にわたしと妻と子供の3人で、近くの宮地嶽さんとお大師さんに初詣。
昼からはわたし一人で、各所のお墓参り。

お客さんは、午前中に1人、午後1組5人。
さっき、お客さんも帰っていきました。

そんなこんなで、元日も過ぎていきます…

あ! 年賀状…
まだ書いていない……


2009.12.30

Google MAP でインド仏跡をたどる①

今年もあと残すところ1日になってしまいました。
今日は朝からのもちつきの後は時間が出来たので、久々にネット探検しました。
で…
インドの仏教遺跡を Google MAP で訪ねてみました。

Ⅰ.ブッダガヤ ~ 釈尊成道の地
   ここの、菩提樹の下で、お釈迦様は悟りをひらきました。
   現在、大塔と、菩提樹と、その根元にお釈迦様が悟りをひらいたときに
   すわっていたとされる金剛宝座があります。

   > Google MAP へ

   > ウィキペディア へ


Ⅱ.サルナート ~ 釈尊初転法輪の地
   ブッダガヤで悟りをひらいたお釈迦様が、初めて説法をした所です。
   初めて説法を受けたのは、お釈迦さまが出家して最初の頃一緒に
   修行していた人たちでした。
   ここには、「ダーメーク ストゥーパ」という仏塔や数々の遺跡が残っています。

   > Google MAP へ

   > ウィキペディア へ

Ⅲ.耆闍崛山(霊鷲山、グリドラクータ)
   お釈迦さまが数多くの説法をしたとされる山です。
   お釈迦さまが在世のころは、この山の近くにマガダ国の首都の
   ラージャグリハ(王舎城)がありました。

   ○ 妙法蓮華経 序品 第一
      如是 我聞 一時 佛住 王舎城 耆闍崛山
      與大比丘衆 萬二千人倶 皆是阿羅漢 …

   ○ 佛説 無量壽経
      我聞如是 一時佛住 王舎城 耆闍崛山
      與大比丘衆 萬二千人倶 一切大聖 …

   上記のように、法華経や無量壽経が説かれた所とされています。

   > Google MAP へ

   > ウィキペディア へ


… 一度、行ってみたいなあ。

2009.12.25

「宗教」という言葉に思う

 今年も残すところあとわずかになりました。
今日は久しぶりの投稿です。

 ところで…
よく、こんな言葉を聞いたり見たりします。

…「宗教お断り」
…「そんなのは、宗教だ。」

 宗教は、心を扱うものですから、目には見えません。
また、”信”から入るものですので、逆に「信じられない」という気持ちも起こるでしょう。

そして、宗教も仏教、キリスト教、イスラム教、神道、ヒンズー教、そのほかの諸教、たくさんありますし、伝統的なものから、新らしいもの、果てはカルトも含めて、「宗教」の一言でくくられているのが現状と思います。

 ここで、目を金融に向けて見ましょう。
金融は、中央銀行(日本では日本銀行、アメリカではFRB、などなど)から、都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合、農協、漁協、それからサラリーマン金融、果てはヤミ金まであります。

 今年、我が家では農業用倉庫を建てるのに農協から借金をしました。
金融がなければできなかったことです。
しかし、金融業界も、ヤミ金が大きな社会問題となっています。

 ここで、問いたいのです。
ヤミ金が問題だからといって、金融業すべてを非難したりするでしょうか?
たとえば、あるヤミ金が暴利で人を苦しめたら、その責任を日本銀行にふりむけるでしょうか?
おそらく、全ての人がそのようなことはしないでしょう。

 しかし…
宗教に関しては、ヤミ金の責任を日銀にふりむけるような事が、よくあると思います。
オウムのような宗教とか霊感商法が悪いからといって、宗教全てがそうであるかのように…

 願わくば、しっかりした教えのある宗教と、カルト宗教をごっちゃまぜにしないで欲しいと、冒頭に書いた言葉に出会うたびに思います。

 日本の多くの家庭では仏教と思います。各家庭では菩提寺があるでしょうし、菩提寺を持たない家でも近くには古くからのお寺があると思います。
大抵のお寺では、いろんな行事があり、法話も聞いたり、何かしらの行(坐禅とか写経とか)をすることもできます。
それから、キリスト教の教会では日曜礼拝とかもあってます。
多くのひとに、そのような場にふれてもらいたいな、と思います。

 いつだか覚えていませんが、
「宗教」という言葉は明治以後に出来た言葉で、それ以前は、「信心」と言う言葉しかなかった。英語の「religion」の訳が「宗教」なのである。
と、聞いた事があります。

 「あなたの信心は、何ですか?」

そう問われて、

 「無信心です。」

などと言ったら、少しうすら寒い気がしませんか?
まるで、”道徳心はもちあわせていません” と宣言しているような…

 無宗教 = 無信心

「宗教は何ですか」と聞かれて、「無宗教です」なんて、決して言わないほうがいいですね。

2009.08.29

明日は投票日

明日は衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査の日です。

いまネットで「ボートマッチ」というのがあり、いろいろな政党の立候補者と自分の意見の一致度を測ることができます。
こちら(毎日ボートマッチ(えらぼーと)…by 毎日新聞社)からできます。

ちなみに、わたしは、こんなのになりました。
あんまり入れたくない政党との一致度が高いです…pout

ともかくも、明日は投票日。

よく、「誰に入れても政治は変わらないから投票には行かない。」と言う人がいますが、わたしは、ちょっと違う考え方をします。
「一票で政治は変わらないかもしれないけど、自分の意見を投票という行為で表すために行く。」という考え方なのです。

なにはともあれ、明日は投票に行きましょう。

2009.08.26

立石山西覚寺

先日の記事にも書きましたが、わたしの父方の祖父のお墓(納骨堂です)は、菊池市にある西覚寺というお寺にあります。
山号は立石山といい、宗派は浄土真宗本願寺派(西本願寺)です。
古いお寺で、中世の菊池五山のうちのひとつに数えられています。

本堂です。
破風のコテ絵がすばらしいです。

本堂の裏手には広い庭園があります。


いつも、今の時期、八月盆になると、睡蓮がきれいに咲いているので、墓参の後で庭を見るのも楽しみの一つです。


いろいろな色の睡蓮があるのです。
【白】


【薄いピンク】


【薄い黄色】


【薄い赤】


西覚寺の山門近くに記念碑が二つあります。
それを読むと、いくつかの苦難の歴史がかいまみれます。

記念碑に書かれているものを抜き出してみますと…


当山十三世 五十回忌 記念事業之碑

           …思ウニ今ヲ去ル九十
 ニ年前明治十年四月十日西南ノ役ニ薩軍ノ西
 覚寺本陣トシテ據ル処ナリシモ戦敗レ薩軍去
 リシヨリ明治政府軍ノ放火ニヨリ本堂庫裡樓
 門土塀等悉ク消失灰燼ト期セリ、時ニ祖父ニ
 十九才也戦終リ本堂建立ニトリカカリシモ悲
 シクモ門信徒ノ協力ヲ得ラレズ三町八反ノ田
 畑等スベテノ私有財産ヲ売リ拂イ本堂庫裡ヲ
 建立ス現在ノ庫裡ハ袈裟尾ヨリ会所古家ヲ求
 メ祖父自ラ車ヲ曳キ運ブト聞ク在世中艱難辛
 苦トタタカイ貧苦ノ中ニ此ノ世ヲ去ル 又晩
 年後世ノ為ニト寺内ノ寺ト訣別シ現在当寺ノ
 基礎ヲ築ク…


なんと…西南の役の際には、薩軍が去った後で政府軍が寺に放火をしているのです。
ビックリ! 政府軍なのに放火なんて… 火付盗賊は重罪です!
神仏分離令を出して更には廃仏毀釈を放置した政府の軍隊なのでそんなものなのでしょうかねえ?


もう一つの記念碑に書かれているものを抜き出しますと…


   西覚寺開山五百年記念事業を終えて
  明応五年(一四九六年)菊池能運公(17才)の招請を受け
 立石の地に西覚寺建立をせられた初代了善法師(24才)
 加藤清正公と親交の三代常念さま、西南の役に於て
 西郷南州公からの協力依頼で物心両面に亘り命を
 かけて盡力申し上げた、悲劇の祖父十三世普行さま
 ……

 …世界の西郷南州公は歴とした菊池一族で菊池氏
 滅亡のあと、鹿児島の方となられました。 御子様の
 お名前を菊丸様と名づけられたことでも解ります
 初代了善法師(高千穂稲葉之守大塚之惟世)
 西覚寺建立の頃、宮崎の高千穂家は全盛時代で
 四十八外城肥後の白水村までが高千穂の領でございました。
 西覚寺建立から九十五年目、天正十九年十一月三日
 信長の命により高千穂家は滅亡されたのであります。
                     合掌

「西郷南州公」というのは、西郷隆盛公のことです。
西郷隆盛公は一時、「菊池源吾」と名乗っていた時があり、その名前は「吾の源は菊池」と読めると聞いたことがあります。

立石山西覚寺の場所は、こちらです↓

2009.08.17

お盆で実家へ行って、核談義??

一昨日の15日は、墓参りでグル~ッと回ってきました。
まず、わたしの家の本家と今住んでいる家(妻の実家。わたしはマスオさんなのです。)の先祖の墓参りで、野原(のばら)の納骨堂。
次に、わたしの母方の祖父母や先祖の墓参りで、府本(ふもと)の納骨堂。
次に、父方の祖父の墓参りで、菊池市の立石山西覚寺の納骨堂。
そして最後に、わたしの実家のお墓で、父方の祖母と亡先妻に手を合わせてきました。
なんとも、各地に分散した墓参りなのですが、恒例となっています。

さて、
その後は、実家に行って一休み。
実家には弟も来ておりました。

弟といろいろな話をするうち、弟が、
「にいちゃん、オバマ大統領の核廃絶をどうおもうね?」
と切り出してきました。

わたしは、
「オバマ大統領も以前からのアメリカ大統領と基本的な思考は変わらないからね…」
と答えると、

弟が、
「結局、核が手に余るようになっただけで、通常戦闘は変わらないもんね。
核がテロリストに渡ったら困るというだけでしょう?」

わたしもそう思いました。

先日、広島原爆投下の日の記念式典で広島市長が、オバマ大統領を支持する旨を、”オバマジョリティ”という造語まで出して語っていましたが、あまりオバマ大統領に期待するのは危険だなあと感じました。

結局、核廃絶はアメリカにとって世界戦略の一環で決して平和主義でも何でもないと、わたしは思います。

それにしても、
ちょうどお盆が、原爆やら敗戦の日やらと重なってしまったのは、何かあるのでしょうかねえ??

2009.08.09

父の8月9日

8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた日です。

昭和20年のその日、わたしの父は自宅裏にある通称「権現さん」と呼ばれる神社のある小高い丘で仲間達と遊んでいたそうです。

父が住んでいたのは熊本県荒尾市府本。(「府本」は「ふもと」と読みます)
当時は、熊本縣玉名郡府本村。
その村の中心の「町」と呼ばれるところに父の家はありました。

わたしの父は昭和8年生まれなので、昭和20年当時は12歳ということになります。

話は続きますが、
昭和20年8月9日のその日、父は仲間と遊んでいて何気なしに西の空を眺めたところ、なにか光ったような気がしたそうです。
「なんだろう?」と、しばらくたたずんで見ていたら、なにやらキノコのような雲がモクモクと湧き上がってきて、仲間たち同士で、「変な雲だ! あれは何だろう!」と騒いでいたそうです。
そして、その雲はいつまでもいつまでも浮かんでいたのが印象に残っている、と、父は今でも折にふれて話してくれます。

おととい、その「権現さん」に行ってみました。
「権現さん」は熊野神社のことです。

権現さんに登る石段です。

熊野神社です。
創建は古く、宝治元年(1247年)8月15日、時の領主、小代重俊公により紀州熊野大権現より勧請され建てられたものです。

社殿横の大きな石碑の向こう、今は大きく茂ってしまった木々の隙間から、ほんの少し雲仙普賢岳の頂上付近が見えていました。

この場所の地図。

ちなみに、長崎原爆の死の灰は微量ながら荒尾にも降ったらしく、今でも荒尾の放射能レベルは他地域より、ほんのわずかながら高いと聞いてます。
もちろん、健康には影響はありません。
でも、核の影響はとてつもなく長いこと残るのだということがよくわかります。

2009.07.17

天草の鈴木神社

 四年ほど前(H17.10.07)に天草に旅行したときに立ち寄った「鈴木神社」の写真がありましたので記事に載せたいと思います。

 鈴木神社は、天草・島原の乱後の天草の復興に尽力した天草初代代官・鈴木重成公をお祀りしてあります。
また、重成公の実兄で仁王禅で有名な鈴木重三公(鈴木正三和尚)、正三の子で重成公の養子であった天草第二代代官の鈴木重辰公もお祀りしてあります。

 天草というと”キリシタンの島”と思われがちですが、キリシタンは天草・島原の乱でほぼ壊滅して残っておらず、江戸期を通じて禅宗の影響が強かったと聞いております。

正面の鳥居です。

拝殿正面です。

由緒書の看板にはこのように書かれていました。


  鈴木神社由緒

  鈴木神社は切支丹の乱後の天草を復興し済世救民のために身命を賭し
 給うた鈴木三郎九郎重成公 鈴木九大夫重三公 鈴木伊兵衛重辰公
 を御祭神とする神社である。 世に「すずきさま」の名で親しまれ三神の偉徳は
 「鈴木精神」と仰がれる。
  寛永十四年 唐津藩主寺沢志摩守支配下の天草では万余の民が
 その苛政に抗して蜂起し島原の民と呼応して遂には原城の露と消えた。
  大乱の後天領となった天草の初代代官鈴木重成公は寛永十八年より
 承応二年に至る十二年間 三河武士の果断と卓越した識見 深い慈愛
 を傾注して、亡所と化した天草の再建に尽瘁せられたのであった。 即ち一揆犠
 牲者の慰霊 殖産 移民誘致 行政組織の再編 海浜防備 農漁民の
 地位保全 衛生の普及 社寺の創建と復興 雑税の減免等の諸施策が
 それである。 かくて我らが祖先の生活と心は徐々に向上と安定に向かった。 その
 仁政の蔭に 実兄鈴木重三 正三 公の深い思想と助言建作が大いに
 与って力があったことも我々の銘記すべきところである。 しかし天草の
 困窮の源は、土地の生産力の実態を無視した石高の査定(四万二千
 石)であった。 代官はみずから再検地して 幕府に対し天草の石高
 半減を建議 再三の請願も容れられぬと看るや 領民塗炭の苦
 を除かんと赤心を披瀝し、承応二年十月十四日 江戸の自邸に割
 腹して果てられたのである。
  二代代官 鈴木重辰公 またよく先代の仁政を継承し 更にその熱願
 達成のため挺身せられたため 重成公七年祭の万治二年 幕府は遂
 に天草の石高を二万一千石に半減する旨指令を発した。
 島民ひとしく先代の遺徳をしのび、請うて遺髪をこの地(御本殿後方)に埋
 葬し感謝報恩 慰霊顕彰の篤い念を発して鈴木社を建立した。 当社はその後
 島内三千余に及した鈴木社の本社となり今日に至るその間 文政六年「鈴木明神」
 号下附 文化八年鈴木明神伝碑建立 安永七年社殿新築 天明八年重三重辰
 ニ神を合祀 奉納相撲大いに賑わう。明治十七年社殿改築、昭和十七年復興奉賛
 運動昂揚するも大戦により中断、昭和三十四年石高半減三百年記念大祭 昭和五十
 八年重成公没後三百三十年大祭並びに記念事業として拝殿の改築その他を奉
 仕した。 鈴木三神の広大な御神徳と 三神を敬仰する天草島内外の信
 篤き人々の心とが相和し相応して御神威ますます高まり恩徳はいよいよ深い。
   身を整え心を清めてお参りましょう。御神徳を讃え感謝の真心でお祈りしましょう。
   神を敬い世のため人のために奉仕する心の輪を家庭と地域社会に広めましょう。

                          鈴木神社社務所

この場所の地図です。


2009.07.16

『立正安国論』奏進750年

 長らく記事を書いておりませんでしたが、今日はタイトルに書いたとおりの記念の日なので、少し記事をアップしようと思い立ちました。

 今を去る750年前の文応元年(1260)7月16日、時代は鎌倉時代、日蓮聖人は前執権の北条時頼に宿屋左衛門入道最信を介して、『立正安国論』を手渡しました。

 『立正安国論』は、当時の打ち続く天変地異・飢饉・疫病の原因を、日蓮聖人が経典の中に求め、「勘え(かんがえ)」た文書です。 「勘える」というのは、為政者の命で事件や天文・気象などの吉凶を陰陽師等が故実や古文書に求め報告することをいいます。 『立正安国論』は日蓮聖人が為政者の命を受けたものではないので、私的な勘文といえます。
 (「勘え」云々は、『立正安国論』の奥書にその記載が見えます。
  「文応元年太歳庚申之を勘ふ。 正嘉に之を始めてより、文応元年に勘へ畢(をわ)んぬ。」

 『立正安国論』は、「旅客来たり嘆きて曰く…」から始まり、旅客と主人との問答形式で話が進んでいきます。
その問答の中でいろいろな経文から引用される形で、最近の天変地異・飢饉・疫病の原因は、日本国中の人々が正しい信仰をしないがために、「善神去って悪鬼来る」がために起こる。」と結論づけられていきます。

 そして最後の方で、主人が
 「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。 然れば即ち三界は皆仏国也。 仏国其れ衰えん哉。 十方は悉く宝土也。 宝土何ぞ壊(やぶ)れん哉。 国に衰微無く、土に破壊(はえ)無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。」
と言われます。

 それに対して旅客も了解し、今までの信仰(「一仏〔阿弥陀仏のみ〕を信じて、諸仏を抛(なげう)ち、〔浄土〕三部経を仰ぎて、諸経を閣(さしお)きし…」)は誤りであったことに気づき、速やかに自分も信仰を改め、他の人の誤りも誡めようと答え、問答が終わります。
※注: [ ] 内は管理人注釈。

 さて、『立正安国論』奏進の翌年、弘長(1261)年5月12日に日蓮聖人は伊豆へ流罪となります。
理由としては、その激しい他宗(特に浄土宗)非難にあったとおもわれます。
しかし、法然上人による、「法華等の諸行等を、”捨・閉・閣・抛”し、念仏のみ行う」信仰が、「善神去って悪鬼来る」原因と考えられるのならば、激しい非難もうなずけます。

 ともあれ、750年の歳月… この国、いや世界に「善神」は帰って来てくれているでしょうかねぇ?think

映像がぼけていますが、
下の写真は『立正安国論』(略本)真蹟影印です。
全36紙のうちの、第1紙(上)、第2紙(下)
(『原文対訳 立正安国論』 北川前肇 編  大東出版社 発行 P121より)

合掌

«久しぶりに記事を書きます。