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2009年8月

2009.08.29

明日は投票日

明日は衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査の日です。

いまネットで「ボートマッチ」というのがあり、いろいろな政党の立候補者と自分の意見の一致度を測ることができます。
こちら(毎日ボートマッチ(えらぼーと)…by 毎日新聞社)からできます。

ちなみに、わたしは、こんなのになりました。
あんまり入れたくない政党との一致度が高いです…pout

ともかくも、明日は投票日。

よく、「誰に入れても政治は変わらないから投票には行かない。」と言う人がいますが、わたしは、ちょっと違う考え方をします。
「一票で政治は変わらないかもしれないけど、自分の意見を投票という行為で表すために行く。」という考え方なのです。

なにはともあれ、明日は投票に行きましょう。

2009.08.26

立石山西覚寺

先日の記事にも書きましたが、わたしの父方の祖父のお墓(納骨堂です)は、菊池市にある西覚寺というお寺にあります。
山号は立石山といい、宗派は浄土真宗本願寺派(西本願寺)です。
古いお寺で、中世の菊池五山のうちのひとつに数えられています。

本堂です。
破風のコテ絵がすばらしいです。

本堂の裏手には広い庭園があります。


いつも、今の時期、八月盆になると、睡蓮がきれいに咲いているので、墓参の後で庭を見るのも楽しみの一つです。


いろいろな色の睡蓮があるのです。
【白】


【薄いピンク】


【薄い黄色】


【薄い赤】


西覚寺の山門近くに記念碑が二つあります。
それを読むと、いくつかの苦難の歴史がかいまみれます。

記念碑に書かれているものを抜き出してみますと…


当山十三世 五十回忌 記念事業之碑

           …思ウニ今ヲ去ル九十
 ニ年前明治十年四月十日西南ノ役ニ薩軍ノ西
 覚寺本陣トシテ據ル処ナリシモ戦敗レ薩軍去
 リシヨリ明治政府軍ノ放火ニヨリ本堂庫裡樓
 門土塀等悉ク消失灰燼ト期セリ、時ニ祖父ニ
 十九才也戦終リ本堂建立ニトリカカリシモ悲
 シクモ門信徒ノ協力ヲ得ラレズ三町八反ノ田
 畑等スベテノ私有財産ヲ売リ拂イ本堂庫裡ヲ
 建立ス現在ノ庫裡ハ袈裟尾ヨリ会所古家ヲ求
 メ祖父自ラ車ヲ曳キ運ブト聞ク在世中艱難辛
 苦トタタカイ貧苦ノ中ニ此ノ世ヲ去ル 又晩
 年後世ノ為ニト寺内ノ寺ト訣別シ現在当寺ノ
 基礎ヲ築ク…


なんと…西南の役の際には、薩軍が去った後で政府軍が寺に放火をしているのです。
ビックリ! 政府軍なのに放火なんて… 火付盗賊は重罪です!
神仏分離令を出して更には廃仏毀釈を放置した政府の軍隊なのでそんなものなのでしょうかねえ?


もう一つの記念碑に書かれているものを抜き出しますと…


   西覚寺開山五百年記念事業を終えて
  明応五年(一四九六年)菊池能運公(17才)の招請を受け
 立石の地に西覚寺建立をせられた初代了善法師(24才)
 加藤清正公と親交の三代常念さま、西南の役に於て
 西郷南州公からの協力依頼で物心両面に亘り命を
 かけて盡力申し上げた、悲劇の祖父十三世普行さま
 ……

 …世界の西郷南州公は歴とした菊池一族で菊池氏
 滅亡のあと、鹿児島の方となられました。 御子様の
 お名前を菊丸様と名づけられたことでも解ります
 初代了善法師(高千穂稲葉之守大塚之惟世)
 西覚寺建立の頃、宮崎の高千穂家は全盛時代で
 四十八外城肥後の白水村までが高千穂の領でございました。
 西覚寺建立から九十五年目、天正十九年十一月三日
 信長の命により高千穂家は滅亡されたのであります。
                     合掌

「西郷南州公」というのは、西郷隆盛公のことです。
西郷隆盛公は一時、「菊池源吾」と名乗っていた時があり、その名前は「吾の源は菊池」と読めると聞いたことがあります。

立石山西覚寺の場所は、こちらです↓

2009.08.17

お盆で実家へ行って、核談義??

一昨日の15日は、墓参りでグル~ッと回ってきました。
まず、わたしの家の本家と今住んでいる家(妻の実家。わたしはマスオさんなのです。)の先祖の墓参りで、野原(のばら)の納骨堂。
次に、わたしの母方の祖父母や先祖の墓参りで、府本(ふもと)の納骨堂。
次に、父方の祖父の墓参りで、菊池市の立石山西覚寺の納骨堂。
そして最後に、わたしの実家のお墓で、父方の祖母と亡先妻に手を合わせてきました。
なんとも、各地に分散した墓参りなのですが、恒例となっています。

さて、
その後は、実家に行って一休み。
実家には弟も来ておりました。

弟といろいろな話をするうち、弟が、
「にいちゃん、オバマ大統領の核廃絶をどうおもうね?」
と切り出してきました。

わたしは、
「オバマ大統領も以前からのアメリカ大統領と基本的な思考は変わらないからね…」
と答えると、

弟が、
「結局、核が手に余るようになっただけで、通常戦闘は変わらないもんね。
核がテロリストに渡ったら困るというだけでしょう?」

わたしもそう思いました。

先日、広島原爆投下の日の記念式典で広島市長が、オバマ大統領を支持する旨を、”オバマジョリティ”という造語まで出して語っていましたが、あまりオバマ大統領に期待するのは危険だなあと感じました。

結局、核廃絶はアメリカにとって世界戦略の一環で決して平和主義でも何でもないと、わたしは思います。

それにしても、
ちょうどお盆が、原爆やら敗戦の日やらと重なってしまったのは、何かあるのでしょうかねえ??

2009.08.09

父の8月9日

8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた日です。

昭和20年のその日、わたしの父は自宅裏にある通称「権現さん」と呼ばれる神社のある小高い丘で仲間達と遊んでいたそうです。

父が住んでいたのは熊本県荒尾市府本。(「府本」は「ふもと」と読みます)
当時は、熊本縣玉名郡府本村。
その村の中心の「町」と呼ばれるところに父の家はありました。

わたしの父は昭和8年生まれなので、昭和20年当時は12歳ということになります。

話は続きますが、
昭和20年8月9日のその日、父は仲間と遊んでいて何気なしに西の空を眺めたところ、なにか光ったような気がしたそうです。
「なんだろう?」と、しばらくたたずんで見ていたら、なにやらキノコのような雲がモクモクと湧き上がってきて、仲間たち同士で、「変な雲だ! あれは何だろう!」と騒いでいたそうです。
そして、その雲はいつまでもいつまでも浮かんでいたのが印象に残っている、と、父は今でも折にふれて話してくれます。

おととい、その「権現さん」に行ってみました。
「権現さん」は熊野神社のことです。

権現さんに登る石段です。

熊野神社です。
創建は古く、宝治元年(1247年)8月15日、時の領主、小代重俊公により紀州熊野大権現より勧請され建てられたものです。

社殿横の大きな石碑の向こう、今は大きく茂ってしまった木々の隙間から、ほんの少し雲仙普賢岳の頂上付近が見えていました。

この場所の地図。

ちなみに、長崎原爆の死の灰は微量ながら荒尾にも降ったらしく、今でも荒尾の放射能レベルは他地域より、ほんのわずかながら高いと聞いてます。
もちろん、健康には影響はありません。
でも、核の影響はとてつもなく長いこと残るのだということがよくわかります。

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